祭礼軕

名称サイレイヤマ
員数6輌
指定年月日昭和51年3月10日

三輪車(ミワシャ) 殿町

明治36年に岐阜市白木町から購入した。形式は名古屋型であるが他のと比較すると一段と小さい。からくり人形は、上段では謡曲三輪の一部にあわせて、白拍子風の端正な顔立ちの女性が舞う。袖を翻して胡蝶のごとく軽快で美しい舞である。下段では素襖姿の童子が坐して鼓を打っていたが、近年は鼓が無くなった。
購入後大金を投じて塗装しなおし、上屋の金箔が眩しいばかりである。

三輪車1
三輪車2

布袋車(ホテイシャ) 吉川町

明治の中頃に市内魚屋町から購入したものである。明治3年の祭礼記録には魚屋町布袋車とあり、江戸時代からある である。この軕は他の4両とは異なり完全な2層型である。大きな布袋がどっかりと座し、首をゆっくり動かすのみである。屋根をつけたのは新しく、江戸時代には人形を置かず、上で踊りをしていた時期があると伝えられている。

布袋車1
布袋車2

浦島車(ウラシマシャ) 泉町

屋台の柱に「天保13年名古屋車町」の墨書があり、作者は名古屋の竹田源吉である。 明治13年(1880年)に泉町が巾下新道町から購入した。からくり人形は浦島太郎が浜で魚を釣るところを演じ、古典的な美しい顔であり、口を開けることができる。下段の唐子人形も優秀なものである。幕には大きな龍が刺繍されている。後幕は珍しく万葉仮名で祝いの言葉が刺繍されている。

浦島車1
浦島車2

靭車(ウツボシャ) 常盤町

明治31年に名古屋富津町より購入したもので、市内では最大の である。人形は靭猿で上段に殿様、猿回し、猿の3体を置き、下段に太郎冠者と呼ばれる翁を据えている。猿は童子姿で金弊を手に踊っているが、突如として猿面に変化するカラクリが面白い。人形師は名古屋の隅田仁兵衛である。幕は緋、上端の見切幕は白地に蝙蝠が数匹刺繍されており美しい。江戸時代末期の作と推定される。

靭車1
靭車2

聖王車(セイオウシャ) 新町

享和年間(1801年から1804年まで)の箱書きのある人形が現存し、名古屋に多い形式で、舟山車に次ぐ古い軕である。上段に聖王、下段に唐子人形を置いている。聖王はわずかに首を動かすのみで、唐子が活発な身振りで踊る。唐子の顔立ちが愛らしく、こぼれるような愛嬌に魅力がある。装飾は至るところに花鳥や唐獅子の彫刻をはめ込み、幕には、龍の刺繍が施されている。明治23年に港町より購入したものである。

 

聖王車1
聖王車2

舟山車(フナヤマシャ) 相生町

安永年間(1772年から1781年まで)に名古屋末広町から購入したもので数度の改造がされた。以前は黒船車といって全般に黒漆塗りの踊り であったという。現在の姿は明治の改装後のもので、名古屋の人形師玉庄作の武内宿祢と神宮皇后の操り人形を置き、幕は山本梅逸の下絵になる波濤図を刺繍したものである。謡曲、弓八幡の一部にあわせて武内宿祢が舞い、皇后がこれを見て楽しむという趣向である。船の形をした は珍しく姿が美しい。

 

舟山車1
舟山車2

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