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覚源禅師の墓
覚源禅師の墓
市指定 | |
種別 | 史跡 |
名称 | カクゲンゼンジノハカ |
時代・員数 | 江戸 |
指定年月日 | 昭和48年10月28日 |
覚源禅師は平心處斎といい、鎌倉時代に全国に名を知られた禅僧である。
下総国の千葉六党(ちばろくとう)中の東氏(とうし)の出、肥前(ひぜん)(現在の九州)で生まれ、幼い頃に出家し遂には鎌倉円覚寺に住した。
退隠後は仏舎利を笈(おい)に納めて背負い、国々を巡錫(じゅんしゃく)し、尾張の定光寺(じょうこうじ)を開き、ついで牧谷の上野に長蔵寺を開いた。
その後、美濃守護土岐頼忠(ときよりただ)のために揖斐に禅蔵寺(ぜんぞうじ)を創建したが、再び長蔵寺に帰住し正平(しょうへい)24年に83歳で没した。
裏山に葬ったと記録されているが、当時の墓地は不明。
現在は長蔵寺の西に墓碑がたてられている。
墓碑銘 開山覚源禅師大和尚
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