小倉山城 石垣

小倉山城 石垣

小倉山城 本丸跡

小倉山城 本丸跡

小倉山城 二の丸跡

小倉山城 二の丸跡

市指定
種別史跡
名称オグラヤマジョウアト
時代・員数江戸
指定年月日昭和44年4月1日

慶長(けいちょう)6年(1601年)、金森長近(かなもりながちか)の築城した小倉山城(おぐらやまじょう)の城跡である。関ケ原戦の功により佐藤氏の旧領地を加封された長近は大野城(越前)、高山城(飛騨)についで尾崎丸山の地に小倉山城を築いて隠居城とした。城郭(じょうかく)の規模は明らかでないが、現在の小倉公園の上の広場が本丸、下の広場が二の丸、図書館のある所が三の丸であったと考えられる。

上の広場への石段の左側の石垣上に時鐘(じしょう)を釣った櫓(やぐら)があったということで、その鐘は小倉山城が取壊される時に揖斐郡に持ち去られ、現在は揖斐川町の松林寺に現存する。

長近の死後、後嗣の長光が幼死したために断絶し城は破却され、領地は上知(あげち)されたが、後に尾張藩領となった。その後天明2年(1782年)、城跡に上有知代官所が置かれた。400年の風雪に耐えた石垣と共に、ここは美濃市の歴史を物語る重要な史跡である。

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