上有知湊の写真
県指定 | 重要文化財 |
---|---|
種別 | 史跡 |
名称 | コウズチミナト |
時代・員数 | 江戸 1ヵ所 |
指定年月日 | 昭和45年10月27日 |
長良川畔の上有知湊(こうずちみなと)は金森長近(かなもりながちか)によって開かれた湊である。
長近は関ケ原戦の功によりこの地を加封されると、小倉山城(おぐらやまじょう)を築き、低地にあった上有知の町を丘上に移して、城下町上有知の町造りを行った。さらに町の繁栄策として六斎市(ろくさいいち)を開かせ、物資運送の玄関口として上有知湊をひらき、番船40艘をおいて長良川下流への舟運の拠点とした。上有知湊は江戸時代から明治時代末年までこの地方の物資の流通、交通の中心として繁昌したが、明治44年、電車の開通によって全く廃れてしまった。
今はわずかにかつての上有知湊を象徴するかのように川畔に建つ高さ9メートルの長良川港灯台と舟着場への石段、舟運の安全を祈るために奉祀された住吉神社、文化年中、郡上連中が奉献した石灯籠などが昔を物語る姿をとどめるだけである。
交通の変遷と美濃市の歴史を語る貴重な史跡として、灯台をふくむ一帯の地が県指定史跡となっている。