平成11年3月31日

平成11年3月31日 最後の美濃町線

紙の上有知(こうづち)として近代美濃町(上有知町)の繁栄の象徴であった名鉄美濃町線美濃駅から新関間が、平成11年(1999年)4月1日に廃線となりました。また平成16年(2004)年4月1日には新関から徹明町・新岐阜間全線が廃止となり、その歴史に幕を閉じました。
明治42年1月に美濃電気軌道株式会社が設立され、明治44年2月11日神田町(柳ヶ瀬)から上有知間24.9キロメートル、岐阜駅前から今小町間1.4キロメートルが開通し、上有知町小倉公園・関停車場・岐阜市梅林の3ヵ所で開通祝賀式が開催されました。
電力は、明治43年に設立された板取川電気株式会社(社長武藤助衛門)安毛第1発電所から供給を受け、車両は40人乗り2軸車12輌が導入されました。上有知から神田町間の所要時間は約1時間半・運賃30銭で、当時としては画期的な時間短縮でしたが、車両が2軸車であったため脱線も多く、運賃も割高であったため乗客は少なかったようです。
開業当時には現在の米屋町玉本屋周辺に臨時停車場がつくられましたが、明治44年4月1日には上有知町から美濃町に町名が改称されたのに伴い初代美濃町停車場が現広岡町交差点周辺につくられました。大正12年10月1日国鉄越美南線美濃駅開業により広岡町通りが新設されたため、駅舎は国鉄美濃駅寄りに新設され新美濃町駅と改称しました。
昭和5年、美濃電気軌道株式会社は名古屋電気鉄道株式会社と合併してその路線は引き継がれます。
以後名鉄美濃町線として市民の通勤・通学に利用されますが、道路整備・車社会の到来により利用客は減少、廃止の運命を辿ります。
現在美濃町線駅舎・プラットホーム等は、旧名鉄美濃駅として国登録文化財として保存・公開されています。また大正15年に製造されたモ512、モ593・モ601の3両が展示されています。
長良川発電所・板取川発電所・美濃橋と伴に明治・大正期の象徴的な近代化遺産として貴重な歴史的建造物です。

美濃町電車停留所

美濃町電車停留所(明治44年初代駅舎、現広岡町交差点)の写真

駅前広場(米屋町周辺)

美濃町電車停留所駅前広場(現米屋町周辺)の写真

名鉄美濃駅S57

名鉄美濃駅(昭和57年)の写真

最後の始発

平成11年3月31日最後の始発(新岐阜・徹明町行き)の写真

最後の終着

平成11年3月31日最後の新岐阜行きの写真

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