岩陰遺跡 写真

市指定
種別史跡
名称ミナトマチイワカゲイセキ
時代・員数縄文
指定年月日昭和59年3月9日

遺跡は、清泰寺(せいたいじ)山北麓に所在し、長良川と接する北側崖下に位置する。岩崖は古生層の硅岩(けいがん)により形成されており、北面に開口している。

昭和52年に市教育委員会により学術調査が実施され、岩陰の規模は幅20メートル、奥行最深部で8メートルで、扇状に広がる前庭部は奥壁最深部より約15メートルを測る。

堆積層は4層に分かれ、第1層からは、縄文時代後期の安行式(あんぎょうしき)、堀之内式(ほりのうちしき)併行(へいこう)の土器や、縄文時代中期の里木(さとぎ)2式の土器が出土している。第2層上では、五領ヶ台式(ごりょうがだいしき)、船元式(ふなもとしき)、咲畑式(さきばたけしき)が、第2層下からは縄文時代前記後半の北白川下層式(きたしらかわかそうしき)が大半を占めている。また、石器の約80パーセントがこの層から出土している。石器は、石錘(せきすい)(砂岩製、硅質頁岩(けつがん)製、チャート製)約130点、石匙(いしさじ)(チャート製)17点、石鏃(せきぞく)(チャート製、下呂石製)17点、牙製装飾品1点が出土している。

第3層からは、縄文時代前期初頭の木島式(きじましき)、早期末の入海式(いりみしき)が、石器は石鏃、掻器(そうき)、等が出土している。第4層からは縄文時代早期後葉木島式、高山寺式(こうざんじしき)土器が、石器は異型部分磨製石器(いけいぶぶんませいせっき)が出土している。第5層からは、早期前葉の細久保式(ほそくぼしき)が、石器は石鏃、掻器(S字状剥片(はくへん)、チャート製)が出土、第6層からは椛の湖(はなのこ)2式が、石器は石槍(チャート製)、楔形石器(くさびがたせっき)(安山岩製)が出土している。

県下では九合洞穴(くごうどうけつ)(美山町)とともに縄文時代草創期からの岩蔭遺跡であり学術的調査を行なった数少ない遺跡でもあり、貴重な資料を提供するものである。

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