市指定種別古文書名称ナヨセチョウ(マエノクテンショウケンチ2サツ)時代・員数指定年月日昭和44年4月1日 天正17年(1589年)に豊臣秀吉によって検地が実施された。その時検地帳とともに作成された名寄帳が前野にある。その後慶長18年にも検地があり、これは石見検(いわみけん)と称せられ、大久保石見守が中心となったものであるが、その時の名寄帳も残っている。