町並み写真 鳥瞰図

町並み写真

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国選定
種別伝統的建造物群
名称ミノシミノマチジュウヨウデントウテキ ケンゾウブツグンホゾンチク
時代・員数約9.3ヘクタール
選定年月日平成11年5月13日

上有知の町は金森長近によって造られたもので400年の歴史を持つ。一番町と二番町、それをつなぐ4本の横町によって目の字型となっている。町は上、中、下に三区分され、金森長近が以前に造った高山の町並と似ている。金森長近は長良川の上有知港を開き、それと町を結んで交通の便を図った。

上有知町を造った金森氏は在城10年にして断絶し、その後一時幕領となったが、まもなく尾張藩領となって明治に至った。上有知は街道により郡上、飛騨への物資集散地となり、さらに岐阜、桑名方面への舟運によって商業が大繁盛し中濃屈指の町となった。

この町は丘の上にあるため水の便が悪く、古来度々の火災に遭った。特に享保8年(1723年)の大火によって町は全滅した。その時、町民の防火意識の高揚により一番町、二番町の道幅を従来の二間から四間に拡幅することになった。この時の町並が現在の町並である。

特に古い形態を残しているのは、現在の泉町のうだつ連棟と旧今井邸のあたりで、江戸時代の姿をよくとどめている。次に古い町家が残っているのが本住町、魚屋町あたりで、町民のうだつへのあこがれを示す片側だけのうだつの松久邸や完全防火をめざした旧武藤邸の姿など貴重な遺構である。さらに相生町の小坂邸の美しいむくり屋根のある国重文の家は、特に注目をひく。常盤町の重厚な土蔵つくりの構えなど後世に残すべき重要な文化遺産の宝庫といえよう。

外部から見るうだつの町はすばらしいが、旧今井邸の内部に見られる店の構えも古い時代の商人の生活がうかがえるのが楽しい。特に美しい庭や茶室に一流商人の庭と茶道に対する趣味の高さと、文人好みの教養の深さが知られる。うだつの町には、それにふさわしい町人文化が発達したことも忘れられない観点であろう。

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